仏教美術の殿堂――。それは、あまたの仏たちがおわす奈良国立博物館(奈良博)のみに許された、唯一無二の尊称である。総花的な展示が売りの大規模施設も多いなか、ここまで特定分野に特化した存在も珍しい。そのわけは、信仰を見守りはぐくんだ古都という土地柄、そして開館130年を迎えた同館の来歴にある。
松の木々に囲まれ、大勢の観光客が鹿たちと戯れる奈良市の奈良公園。その一角に、奈良博はたたずむ。
明治28(1895)年、東京に次ぐ帝国博物館として興福寺の旧境内地内に開館。現在「仏像館」の名で古今の仏たちを収める旧本館(重要文化財)は、明治を代表する建築家、片山東熊(1854~1917)の手になる重厚な作品だ。
明治維新期、吹き荒れる廃仏毀釈(きしゃく)の嵐や上知令によって所領が失われる事態に多くの寺院が疲弊した。散逸の危機に瀕(ひん)した膨大な寺宝群を守る使命を負って、奈良博は生まれた。仏像や仏画、仏教工芸などが中核になったわけには、そんな混沌(こんとん)とした時代背景がある。殖産興業をめざしてたびたび開かれた奈良博覧会での仏教関連の模造や模写もコレクションの一翼を担った。
2千件足らずの所蔵品は、東京国立博物館(約12万件)や京都国立博物館(約9千件)などと比べれば決して多いとはいえない。けれど所蔵品とほぼ同数の寄託品は50件余の国宝をはじめとして、それを補って余りある。井上洋一館長は「本質的な価値は広く見てもらわないとわからない。それを提示するのが奈良博の役目です」という。
明治30(1897)年の古社寺保存法成立とともに充実していった寄託品だが、戦後、文化財の現地保存の流れが加速し、多くの寺宝がそれぞれの古巣へ帰っていく。それでも奈良博と寺社との揺るぎない信頼関係は、中宮寺の菩薩半跏(ぼさつはんか)像(伝如意輪観音)や唐招提寺の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)といった「超 国宝」展(開催中)を支える名品の数々を見れば明らかだ。
かつて奈良博の〝顔〟でもあった百済観音を出陳する法隆寺の古谷正覚管長は「奈良博は私どもにとって切っても切れない、なくてはならない存在」と話す。
色あせた仏たちはみな荘厳で、そこに近寄りがたさを抱く人は多いだろう。同館が冠する「国立」の文字に威圧的なイメージを覚える人もいるはずだ。が、奈良博は変わりつつある。
館内を歩けば、ボランティアが笑顔で「こんにちは」と声をかけてくれる。所蔵品をモデルにした、ほほえましいゆるキャラたちも誕生した。そしてこの春、同館はさらに親しまれ愛される博物館をめざして「新奈良博宣言」を発表した。
「『博物館はこんなにおもしろい』という気づきのお手伝いをしたい。普段使いの博物館をめざしたい」と井上館長。
人々や地域に愛され、ともに歩む博物館へ。新たな歴史と伝統は、悠久の時を超えて紡がれ続ける。
特別展「超 国宝―祈りのかがやき―」 開催概要
◇6月15日[日]まで、奈良国立博物館(奈良市)。午前9時30分~午後5時。入館は閉館の30分前まで。月曜休館(ただし、5月5日[月][祝]は開館、7日[水]は休館)。前期展示は5月18日[日]まで、後期展示は20日[火]から。一部、展示替えあり
◇一般2200円、高大生1500円。詳細は展覧会公式サイト(<a href=”example.html”>https://oh-kokuho2025.jp/</a>)。問い合わせはハローダイヤル(050・5542・8600)
主催 奈良国立博物館、朝日新聞社、NHK奈良放送局、NHKエンタープライズ近畿
協賛 クラブツーリズム、ダイキン工業、大和ハウス工業、竹中工務店、NISSHA、ひらくと
特別支援 DMG森精機
協力 日本香堂、仏教美術協会
後援 奈良県、奈良市